起業家にとってビジネスを立ち上げる目的とは何か。テラドローン社長の徳重徹さんは「インドの三輪EVでトップクラスの販売数を誇るまで成長したが、少しもうれしくなかった。そんなとき、2010年に設立後4年で中国ナンバーワンのスマートフォンメーカーに成長したシャオミ創業者の『風が吹けば豚でも飛べる』ということを思い出した」という――。

※本稿は、山口雅之『常識を逸脱せよ。日本発「グローバルメガベンチャー」へ テラドローン・徳重徹の流儀』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

インドの街での生活
写真=iStock.com/Arkadij Schell
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30歳手前で大手企業に辞表提出、父親から絶縁を宣言される

2016年3月16日、大手町ファーストスクエアカンファレンスで、テラドローン設立の記者会見が行われた。同社の代表取締役は徳重徹。

――ドローンだって?

その記事を目にしたとき、違和感を覚えずにはいられなかった。私はその4年ほど前に徳重と出会っている。彼の著作『世界へ挑め!』(フォレスト出版)の制作を手伝ったのである。

本を出すといっても、当時の彼はまだ何も成し遂げてはいなかった。2010年に立ち上げたテラモーターズのオフィスは渋谷の繁華街にある古い雑居ビルの一室。雑然とした仕事部屋の一角をパーティションで区切った狭いスペースで膝を突き合わせるようにして、長い時間話を聞いた。

新進気鋭の起業家といえば当時もいまもIT関連が圧倒的に多い。投資家の信用を得るのに有利だからか、それとも単に虚勢を張りたいのか、当時完成してまだ日の浅い六本木ヒルズには、多くのIT系企業が軒を並べていた。

だから、テラモーターズの事務所は逆にインパクトがあった。けれども、あえて逆張りで世間の耳目を集めようとしたわけではない。徳重にとってオフィスの広さや会社の場所は、どうでもいいことだったのだ。

思えばビル・ゲイツもスティーブ・ジョブズもガレージからスタートしているのだから、ベンチャー企業が雑居ビルのレンタルオフィスからスタートするのはむしろ当たり前なのかもしれない。

【徳重徹

挑戦と挫折の繰り返し。それが私の人生です。最初は大学受験の失敗。一浪して猛勉強したものの第一志望校には入れませんでした。

大学では父の言葉に従って応用化学を専攻したもののどうにも興味が湧かず授業にも熱が入らない。それで、早川徳次、松下幸之助、盛田昭夫といった起業家の本ばかり読んでいました。逆境を乗り越えてついに欧米をも凌駕する企業をつくりあげる彼らの生きざまから学んだことは、現在の私の経営哲学の元になっています。

しかし、自分も起業家の道を目指そうという気持ちはまだなく、就職も父の希望を汲んで、いったんは大手企業に入ったものの、ここは自分の場所ではないという息苦しさが日に日に高まり、30歳手前で勝手に辞表を出すと、父から絶縁を宣言されてしまいました。

その後、シリコンバレーを目指して渡米するのですが、ここでも希望のビジネススクールに落ちまくります。それでもなんとかMBAを取得するとそこから5年間、憧れのシリコンバレーで、日本のベンチャー企業の起業や海外進出をハンズオンで支援するコンサルタントとして働きました。

そうしているうちに、この世に生を受けた自分の使命がようやくみえてきます。それは、日本発のメガベンチャーをつくるということです。そして、日本に戻ると世界で戦える事業を探し求め、EVに出合いました。それがテラモーターズです。