※本稿は、大愚元勝『絶望から一歩踏み出すことば 大愚和尚の答え一問一答公式』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
なぜ仏教はお酒を禁じているのか
「お酒をやめたい」という男性から相談を受けたことがあります。アルコール依存症は病気ですから、専門の医療機関の診断も受けたそうです。
病院では「禁酒しなければならない」と言われ、それは本人もよくわかっているのですが、仕事が終わるとすぐ飲むし、飲みすぎて入院することもある。やめようとしているのにやめられない。だから、困っていたのです。
仏教には戒律、つまりルールが定められています。その中に、「不酤酒戒」つまり「お酒を飲むな」というのがあります。
なぜ修行僧がお酒を飲んではいけないかといえば、クリアな意識を保つためです。
仏教は、とにかく慈悲心と知恵を大切に守り育む教えですから、意識が汚れたり、濁ったりして、理性的な判断ができなくなることを徹底して嫌います。
では、お酒をやめたいのにやめられない人は、何が問題なんでしょう?
問題は、「酒を飲んでいる自分」と戦っていることなんです。
禁止されればやりたくなるのが人間の性
「酒をやめよう」と自分に強く言い聞かせるほど、もっとお酒を飲みたくなります。
なぜなら人間は、強い意志で何かを乗り越えようとすればするほど、厄介なことにその制約への対抗意識を強めてしまうからです。
お酒に限った話ではありません。タバコ、ゲーム、ギャンブルなどをやめようと思い、自分に禁じれば禁じるほど、そちらの方向へエネルギーが集まってしまう。
「やってはいけない」と言われることは大概やってきた私が言うんですから、間違いありません。
禁止されればやりたくなるという人間の性質に、正面から向かっていったら、逆効果で余計にやめられなくなります。
禁じられて我慢して我慢して、それでも耐えられなくて飲んだお酒は強烈においしいので、その中毒性にますますやめられなくなる。悪循環です。
だから、禁酒をやめるのです。