社員旅行中にかかってきた1本の電話

「大変なんです!」。

宿泊先に電話があり、慌てて会社に戻った。新バージョンの購入を申し込む現金書留が殺到していたのだ。

1通につき1万円札が3枚。開封するハサミを持つ手がすり切れた。金庫に入りきらず、取引先銀行の行員が駆け付け、その場で札束を数えて持ち帰った。そんな日が何日も続いた。

「これに懲り、それからはカード払いにした」と、初子さんは笑う。

日本語の文書作成に主にワープロ専用機が使われていた当時、一太郎は、パソコンで同じことを可能にする画期的なソフトだった。

ローマ字での仮名入力、長い文章を一気に変換する「連文節変換」機能、頻出単語が上位にくる辞書――。ソフトの心臓部が「ATOK(エイトック)」と名付けた日本語入力システムのプログラムだ。ソフト本体から独立して動き、ATOKがあれば、他社のソフトでも日本語入力ができる。

発売当初の一太郎は定価5万8000円。年1万本売れれば「ヒット」だった時代に、1年足らずで3万本を突破し、10年以上もベストセラーに君臨した。

IT関連出版社のインプレスで、パソコン入門書シリーズの編集長を務める藤原泰之さんは「縦書き、原稿用紙にも対応したまさに日の丸ソフト。官公庁や学校でも広く使われ、国内でのパソコンの普及を強力に後押しした」と、一太郎が果たした役割を熱く語る。

画像提供=浮川初子さん
1996年9月、店頭に山積みされた「一太郎」

夫が営業、妻が開発担当

一太郎は、どのようにして誕生したのか。

79年創業のジャストシステムは、最初はオフィス用コンピューターの販売会社としてスタートした。

徳島市出身の初子さんは、愛媛大学工学部電子工学科で1期生として学び、大学で出会った和宣さんと結婚。最初は2人とも会社勤めだったが、和宣さんが「コンピューターの時代が来る」と、思い切って起業した。

創業時の社屋は初子さんの実家で、社員は夫婦2人だけ。社長の和宣さんが営業、専務の初子さんがソフト開発の担当だ。「何をどう売るかを考えるのが夫で、技術で支えるのが私」。それは、後々まで変わらない2人の役割分担となる。

1台600万~1000万円と高価な機械を売るため、考えたのが日本語入力システムの改善だった。扱っていた機種の一つはカタカナしか表示できず、メーカーに技術開発を提案した。

しかし、「忙しいんです。自分たちでやってくださいよ」と断られた。これが一太郎への第一歩だった。

和宣さんは、初子さんに自分たちだけで開発できるかを相談した。初子さんはあっさり答えた。

「できるよ」