「適度な格差」と「有害な格差」

いくら個人消費が促され、実質賃金が上がっても、取りこぼされてしまう人は必ず出てくるだろう。新型インフレが続き、格差が一層広がれば、そうした人が増えていく可能性もある。そう考えた時、支出支援のみならず、格差是正として長期的な「治療」も考えるべきだろう。

しかしながら、格差ゼロというのは現実的な話ではない。全員が同じように働き、同じ額を稼ぐというのは資本主義経済ではあり得ないことである。つまり、経済活力を生む「適度な格差」は認めながら、社会の安定性を脅かす「有害な格差」を是正していくというスタンスが良いだろう。

SNSなどで膨らむ「不公平だ!」という声に釣られるかのように、富裕層への課税強化が検討されることもある。しかし、これが行き過ぎると経済活力を損なう可能性がある。したがって、平等・公平についての感情論に引きずられることのない、慎重な制度設計が必要だろう。

とはいえ、行き過ぎた格差拡大は重大な社会問題を引き起こす。富の一極集中が進めばマクロの個人消費は低迷し、経済成長を阻害する側面もある。貧困や社会不安が増大すれば、政治への不信感が高まり、民主主義の基盤を揺るがす危険性もあろう。そして、環境問題や貧困問題とも密接に関連して、持続可能な社会の実現を阻むことになると言えよう。

持続可能な社会に向けた格差是正

特に、教育機会の格差や社会的機会の不平等は、世代間の格差を固定化し、社会の潜在能力が低下する元凶となる。

その是正にはまず、教育支援の充実が不可欠だろう。低所得世帯の子どもへの支援強化や質の高い教育機会の提供を通じて、社会的流動性を確保しなければならない。

さもなければ、良い教育を受けて所得が高い仕事に就いた親の元に生まれない限り、望む道に進めないという悲しい未来になってしまう。教育機会の不平等は、資本主義が作る新たなカースト制度を固定することになりかねない。

また、雇用環境の改善も重要であり、最低賃金の適切な引き上げや労働条件の改善も求められよう。

社会保障制度についても、生活保護制度の拡充や、世代間で調整された医療費負担の実現、さらには税制改革を通じて、社会の安定性を高めていくことが格差是正につながろう。

しかし、こうした取り組みは国任せにしていい話ではない。企業にも従業員への適切な待遇や地域社会への貢献など、社会的責任の遂行が求められるだろう。

格差是正は単なる「富の再分配」ではない。社会の持続可能性を高めるための総合的な取り組みと考えるべきだろう。

1万円紙幣
写真=iStock.com/fatido
※写真はイメージです